歌川広重『土山(春の雨)』木版画

歌川広重『土山(春の雨)』木版画 商品の詳細 作品名土山(春の雨)作家名歌川広重技法 木版画額寸44×37cm絵寸30×19cm 新品 額付 用紙:越前生漉奉書・手摺り 復刻版50・土山(春の雨) 阪之下から鈴鹿峠、そして峠を下ると土山宿である。阪之下から10里、土山宿の麿を祀った田村神社がある。杉木立の亭々と空にのびる境内の手前に田村川が流れている。 土山といえば、「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨がふる」の里謡で知られた土地である。広重は、この里謡を思い浮かべてか「春の雨」と題して田村川の流れ、田村神社の神域に材をとって雨の絵を描いている。 この絵は、まさに春の雨、暖かい春雨の気分が描かれている佳作である。庄野・蒲原・亀山の三大役物の次ぐ作品と評価されている。この雨は夏の雨でも、秋の雨でもない。なにもかもしっとりと濡れに濡れる静かな春の細い雨で、雨足がよくそれを表している。その感じが、橋を渡る大名行列の先鋒の仲間達の俯いた姿勢でも示されている。左田村川の流れ、雨で水かさの増した流れの色が、春の水の暖かさを、さらに感じさせている。境内の暗さも、音もなく降りしきる春の雨に煙った情緒を持った薄暗さである。 この絵の初摺りは、雨足を胡粉摺として、やわらかさを出しているのも、春雨を表現する版画的な技巧の一つである。 ◆ 歌川 広重(Hiroshige Utagawa) ◆1797 寛政九年、江戸・八代洲河岸火消屋敷の同心、安藤源衛右門の子として誕生。    幼名・徳太郎の後、重右衛門、又は、徳兵衛とも称す。1811 15歳の頃、歌川豊国の門に入ろうとしたが、門生満員で拒絶され、歌川豊廣に入門する。1812 歌川の姓をゆるされ広重の名をもらう。1830 「一幽斎廣重」と改め、花鳥を描いていたが、豊廣の死後、風景画を主に制作した。1832 「一立齋」と号を改める。    幕府の行列に加わり、上洛する機会を得て、翌年、『東海道五十三次絵』が誕生。大評判をよぶ。1834 「東海道五十三次」完成。大評判をよぶ。1838 「木曾街道六十九次」に参加、七十枚中四十六枚を描く。1841 甲州に旅する。「立斎」を用いる。1842 「甲陽猿橋の図」「行書東海道」「狂歌入東海道」など。1843 「東都名所」完成す。1849 「隷書東海道」1853 「不二三十六景」1856 「名所江戸百景」はじまる。1857 「六十余州名所図会」完成。「雪月花」「阿波鳴門之風景」1858 「名所江戸百景」完成。   安政5年9月6日、疫病(コレラ)により逝去、享年65歳。他の◆歌川広重◆作品を検索東海道五十三次 安藤広重 風景画 うたがわひろしげ

販売店:アート静美洞

¥8,400 送料別
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