歌川広重『掛川(秋葉山遠望)』木版画

歌川広重『掛川(秋葉山遠望)』木版画 商品の詳細 作品名掛川(秋葉山遠望)作家名歌川広重技法 木版画額寸44×37cm絵寸30×19cm 新品 額付 用紙:越前生漉奉書・手摺り 復刻版27・掛川(秋葉山遠望) 掛川宿は日坂から七.二粁。この掛川の宿外れにある塩井川の土橋を中心に描いたのがこの絵である。向こうから供をつれた僧侶がくる。往きちがう老夫婦の旅人が、腰を曲げて慇懃に挨拶しているもの、僧侶を敬い、後生を願う昔の老人の気配もしのばれる一情景である。掛川、つぎの袋井から浜松あたりの平野では凧あげが盛んである。沖天にあがっている凧や、糸が切れて飛んでいく凧が画面に動きを与えている。遠くに見える峻厳な山は。画題「秋葉山遠望」の秋葉山である。掛川から秋葉山へは三十二粁。東海道で庶民の信仰をあつめていた三尺棒権現によって知られている。右手の田圃で田の草をとる納付の姿、橋の上の里の子に夏の暑さを見せている。僧侶の胸もとに汗がにじんでいるようにさえ見える。◆歌川 広重(Hiroshige Utagawa)◆1797 寛政九年、江戸・八代洲河岸火消屋敷の同心、安藤源衛右門の子として誕生。    幼名・徳太郎の後、重右衛門、又は、徳兵衛とも称す。1811 15歳の頃、歌川豊国の門に入ろうとしたが、門生満員で拒絶され、歌川豊廣に入門する。1812 歌川の姓をゆるされ広重の名をもらう。1830 「一幽斎廣重」と改め、花鳥を描いていたが、豊廣の死後、風景画を主に制作した。1832 「一立齋」と号を改める。    幕府の行列に加わり、上洛する機会を得て、翌年、『東海道五十三次絵』が誕生。大評判をよぶ。1834 「東海道五十三次」完成。大評判をよぶ。1838 「木曾街道六十九次」に参加、七十枚中四十六枚を描く。1841 甲州に旅する。「立斎」を用いる。1842 「甲陽猿橋の図」「行書東海道」「狂歌入東海道」など。1843 「東都名所」完成す。1849 「隷書東海道」1853 「不二三十六景」1856 「名所江戸百景」はじまる。1857 「六十余州名所図会」完成。「雪月花」「阿波鳴門之風景」1858 「名所江戸百景」完成。   安政5年9月6日、疫病(コレラ)により逝去、享年65歳。他の◆歌川広重◆作品を検索東海道五十三次 安藤広重 風景画 うたがわひろしげ

販売店:アート静美洞

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