歌川広重『荒井(渡舟図)』木版画

歌川広重『荒井(渡舟図)』木版画 商品の詳細 作品名荒井(渡舟図)作家名歌川広重技法 荒井(渡舟図)額寸44×37cm絵寸30×19cm 新品 額付 用紙:越前生漉奉書・手摺り 復刻版32・荒井(渡舟図) 荒井(新居)は、舞阪から海上4・の渡しを渡った浜名湖の西岸の宿場である。ここに関所があり、箱根とともに海道の重要な関所であった。 絵は海上幔幕を張って渡る参勤交代の大名の渡し舟を中央に、手前の渡し船には中間どもが乗っているが、一里の、のどかな海上に、すっかりあきて大あくびである。他のものも背中をまるめて居眠っている。のどかな春の海は、その色にも、空の色にも感じられる。対岸に荒井の関所が見える。この関所は、慶長五年(1600)に徳川家康が建てたという。以後管理は譜代の大名、吉田城主が当たり、かなりやかましかったという。 画題は「渡舟ノ図」とあるが、のちに「荒井関」となっているものがある。◆ 歌川 広重(Hiroshige Utagawa) ◆1797 寛政九年、江戸・八代洲河岸火消屋敷の同心、安藤源衛右門の子として誕生。    幼名・徳太郎の後、重右衛門、又は、徳兵衛とも称す。1811 15歳の頃、歌川豊国の門に入ろうとしたが、門生満員で拒絶され、歌川豊廣に入門する。1812 歌川の姓をゆるされ広重の名をもらう。1830 「一幽斎廣重」と改め、花鳥を描いていたが、豊廣の死後、風景画を主に制作した。1832 「一立齋」と号を改める。    幕府の行列に加わり、上洛する機会を得て、翌年、『東海道五十三次絵』が誕生。大評判をよぶ。1834 「東海道五十三次」完成。大評判をよぶ。1838 「木曾街道六十九次」に参加、七十枚中四十六枚を描く。1841 甲州に旅する。「立斎」を用いる。1842 「甲陽猿橋の図」「行書東海道」「狂歌入東海道」など。1843 「東都名所」完成す。1849 「隷書東海道」1853 「不二三十六景」1856 「名所江戸百景」はじまる。1857 「六十余州名所図会」完成。「雪月花」「阿波鳴門之風景」1858 「名所江戸百景」完成。   安政5年9月6日、疫病(コレラ)により逝去、享年65歳。他の◆歌川広重◆作品を検索東海道五十三次 安藤広重 風景画 うたがわひろしげ

販売店:アート静美洞

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