歌川広重『興津(興津川)』木版画

歌川広重『興津(興津川)』木版画 商品の詳細 作品名興津(興津川)作家名歌川広重技法 木版画額寸44×37cm絵寸30×19cm 新品 額付 用紙:越前生漉奉書・手摺り 復刻版18・興津(興津川) 薩多峠を下ると街道はまた平坦となって海沿いの明るい光りに暖かい。由井(由比)から十一.三粁、興津宿(従来の解説書で興の字を奥と読むのは誤読である)である。絵は興津川を渡る力士の旅を描いている。川口から駿河湾の静かな海上を見せて、いかにものどかな旅情を見せている。しかも、画題はユーモラスで、力士の姿は馬からはみ出ているし、四人の駕篭かきは力士の重さに足元も、よろめいている。広重の、この五十五枚の続絵の内で旅の厳しさ、悲しさ、面白さ、そしておかしさを取り交ぜて単調さを救っている。この興津川にしても、今日では一瞬の内に列車が通り過ぎる場所であるが、昔の旅にはこうしたのどかな風情もある。 興津には有名な清見寺があり、古くは清見カ関のあったところである。画題は「興津川」で、画題印が白抜きでない。なお、力士の渡河の図は「東海道名所図会」の安倍川の図に描かれている。おそらく広重はここからヒントを得たと思われる。 ◆歌川 広重(Hiroshige Utagawa)◆1797 寛政九年、江戸・八代洲河岸火消屋敷の同心、安藤源衛右門の子として誕生。    幼名・徳太郎の後、重右衛門、又は、徳兵衛とも称す。1811 15歳の頃、歌川豊国の門に入ろうとしたが、門生満員で拒絶され、歌川豊廣に入門する。1812 歌川の姓をゆるされ広重の名をもらう。1830 「一幽斎廣重」と改め、花鳥を描いていたが、豊廣の死後、風景画を主に制作した。1832 「一立齋」と号を改める。    幕府の行列に加わり、上洛する機会を得て、翌年、『東海道五十三次絵』が誕生。大評判をよぶ。1834 「東海道五十三次」完成。大評判をよぶ。1838 「木曾街道六十九次」に参加、七十枚中四十六枚を描く。1841 甲州に旅する。「立斎」を用いる。1842 「甲陽猿橋の図」「行書東海道」「狂歌入東海道」など。1843 「東都名所」完成す。1849 「隷書東海道」1853 「不二三十六景」1856 「名所江戸百景」はじまる。1857 「六十余州名所図会」完成。「雪月花」「阿波鳴門之風景」1858 「名所江戸百景」完成。   安政5年9月6日、疫病(コレラ)により逝去、享年65歳。他の◆歌川広重◆作品を検索東海道五十三次 安藤広重 風景画 うたがわひろしげ

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