歌川広重『池鯉鮒(首夏馬市)』木版画

歌川広重『池鯉鮒(首夏馬市)』木版画 商品の詳細 作品名池鯉鮒(首夏馬市)作家名歌川広重技法 木版画額寸44×37cm絵寸30×19cm 新品 額付 用紙:越前生漉奉書・手摺り 復刻版40・池鯉鮒(首夏馬市) 岡崎から15.3里で池鯉鮒宿である。いまは知立町という。この地の知立明神の池に多くの鯉や鮒が飼ってあったので地名になったという。毎年4月25日から十日間行われた馬市は有名であったが、その馬市のさまを描いたのがこの広重の絵であるが、広重は「首夏馬市」と題して初夏にしているし、7月にここを通った広重は馬市を見てはいない。 この図は画面一杯に夏の緑の色が溢れている絵である。また、見渡す限りの炎天の広野の感じも強く感じさせている。野中の一本松がこの絵の中心である。その下に馬市に集った群衆のかたまりが見え、ざわめきも遠く耳に達する思いがする。市で売られる馬の群が、馬主と博労とともに描かれている。市へ食べ物を売りに行く行商人が市の方へ歩く姿も一つの情景である。あまり顧みれらない図であるが、決して凡作ではなく、夏の風景画としてその暑さの感じられる点であまり類がない。 この池鯉鮒に近く、「伊勢物語」で知られた菖蒲の名所、三河の八ッ橋があるが、これは広重の時代にも旧蹟だけが残っていた。 この図には異版がある。それは右手に鯨のような人形をした遠山がある図とない図がある。この遠山の山容から、これを俗にクジラといって、これが初版であるというひともいるが、何れが初版かは判断はできない。◆ 歌川 広重(Hiroshige Utagawa) ◆1797 寛政九年、江戸・八代洲河岸火消屋敷の同心、安藤源衛右門の子として誕生。    幼名・徳太郎の後、重右衛門、又は、徳兵衛とも称す。1811 15歳の頃、歌川豊国の門に入ろうとしたが、門生満員で拒絶され、歌川豊廣に入門する。1812 歌川の姓をゆるされ広重の名をもらう。1830 「一幽斎廣重」と改め、花鳥を描いていたが、豊廣の死後、風景画を主に制作した。1832 「一立齋」と号を改める。    幕府の行列に加わり、上洛する機会を得て、翌年、『東海道五十三次絵』が誕生。大評判をよぶ。1834 「東海道五十三次」完成。大評判をよぶ。1838 「木曾街道六十九次」に参加、七十枚中四十六枚を描く。1841 甲州に旅する。「立斎」を用いる。1842 「甲陽猿橋の図」「行書東海道」「狂歌入東海道」など。1843 「東都名所」完成す。1849 「隷書東海道」1853 「不二三十六景」1856 「名所江戸百景」はじまる。1857 「六十余州名所図会」完成。「雪月花」「阿波鳴門之風景」1858 「名所江戸百景」完成。   安政5年9月6日、疫病(コレラ)により逝去、享年65歳。他の◆歌川広重◆作品を検索東海道五十三次 安藤広重 風景画 うたがわひろしげ

販売店:アート静美洞

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