【ポイント5倍!】原爆 ヒロシマ ナガサキ(PHP研究所)【05P3Aug12】ビジネスマナー研修に最適!国内メーカーDVD講座

【ポイント5倍!】原爆 ヒロシマ ナガサキ(PHP研究所)【05P3Aug12】ビジネスマナー研修に最適!国内メーカーDVD講座 1945年8月6日午前8時15分・1945年8月9日午前11時2分。 そして…今——。私たちはあの日を決して忘れてはならない。その瞬間、少年少女だった被爆体験者の記憶から、今あらためて、生命の尊さ、平和の意味を探ります。 日本に投下された二つの原子爆弾は、人類が経験したことのない凄惨な地獄を地球上にもたらしました。一瞬にして、破壊しつくす原爆——。 それは歴史的事実であるだけではなく、今を生きるわれわれにつながる、まぎれもない“現実”です。 平和を享受している現代の子供たち、若者たちにとって、それは遠い過去の話、どこか別の世界の話となってしまったのでしょうか。どんなに長い時間が経とうと、いや長い時間が経っているからこそ、私達は原爆のことを語り継いでいかなければなりません。無数の苦しみを、悲しみを忘れてはならないのです。 対象:病院・学校・公務員向け 収録時間:1枚約80分 (DVD 1枚) [制作・著作]PHP研究所 発行:PHP研究所       ≪収録内容≫ 【ヒロシマ】原爆雲の下、懸命に生きた青春 ●「広島が全滅です」少女が伝えた一報 14歳の女学生ヨシエは学徒動員され、広島城の一角にある中国軍管区司令部作戦室で働いていた。半地下の通信室で、空襲警報や警戒警報を伝達する業務である。原爆投下直後、「広島全滅」の第一報を発するヨシエの声がその通信室から発せられた…。 ●姉はお腹の子とともに荼毘に付された… 17歳の昭雄少年は、故郷の島を離れ広島市内できょうだいと暮らしていた。勤労奉仕に向かう弟を駅まで見送る。それが永遠の別れとなった。被爆二日後、医者に挨拶するほど元気だった姉は、突然息をひきとった。 ●路面電車を運転した少女たち 17歳の照子は、広島の市電の運転手をしていた。広島駅前の停留所から発車させようとした瞬間、閃光に襲われた。必死で車外にはい出した照子が目にしたのは、今まであった建物が消え去った駅前の風景だった。 【ナガサキ】家族を、愛を、思い出を奪われて ●46年間、知らなかったこと。言えなかったこと 8歳のアヤ子は、その日まで家族九人でにぎやかに暮らしていた。原爆投下後、防空壕の前で父を母を兄を姉を待ったが、誰も迎えに来なかった。46年後、姉の同級生から、家族たちの最期の様子を初めて聞いた。 ●懸命に探し出した父を自ら火葬に… 8歳の栄典少年は、朝工場に向かう父を見送った。父は忘れ物を二回も取りに戻り、「今日は行きたくないなあ」とつぶやいた。父の行方を求めて、母とともに長崎の焼け野を歩きまわり、発見できたのは4日後だった。鉄板に遺体を載せ、木片を集め、母とともに荼毘に付した。 ●救えなかった人たち。その罪の意識… 16歳の登明少年は、三菱兵器トンネル工場で魚雷をつくっていた。自宅は跡形もなくなり母の亡骸も見つからなかった。避難の途中、助けを求める人を見捨てたことへの罪の意識を、修道士になった今も抱き続けている。 【平和祈念編】語りつがれる平和へのメッセージ 自らの生と死を通じて、戦争の悲惨と平和の大切さを私たちに伝える二人の人物を描く。 ●佐々木禎子「千羽鶴に込めた願い」 佐々木禎子は広島の爆心地2kmで被爆。わずか2歳だった。 その後10年すくすくと成長したが、突然病魔が襲う。原爆の放射能が原因の白血病。少女は回復を信じて、毎日千羽鶴を折り続けた。しかし願いはかなわず12年の短い生涯を閉じた。絵本にもなり、世界中にも翻訳された佐々木禎子の物語を綴る。 ◆永井隆「平和への永遠の祈り」 医学博士・永井隆は、重傷を負いながらも懸命な救護活動を行い、また戦後も被爆者の治療に献身的に取り組んだ。白血病で寝たきり状態になったあとも、精力的に執筆活動を続け、「如己堂」と呼ばれる二畳ほどの家を仕事場に平和の尊さを訴え続けた。医師として、父として、平和を祈り続けた永井隆の生き方を描く。 【ご注意】 ※返品不可 本DVD講座は、他社製品となるため、お客様のご都合による返品はお受けできません。 ※製品の不具合による初期不良の場合、交換させていただきます。 ※メーカー直送 本DVD講座は、弊社(株)ウォンツからではなく、製造メーカーからの直送となります。商品発送時期などは、製造メーカーの規定に準じます。 この商品のお届けは、メーカー在庫状況により[4〜7営業日]となります。商品の発送予定日は、ご注文後に弊社よりご連絡差し上げます。

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