がんはスピリチュアルな病気がん患者と愛する家族のための心と体の処方箋 

がんはスピリチュアルな病気がん患者と愛する家族のための心と体の処方箋  「ガン患者によるがん患者のための最高傑作」米国患者団体「キャンサーマウント」創設者が絶賛自分だけでなく、妻、両親、弟妹、娘、孫までがんになったことで、全力でそれに向き合った牧師のユーモアあふれる癌克服の記録。「がん患者として」の著者の経験、「がん患者の家族として」の著者の経験を、それぞれ経過ことにまとめた型破り牧師の元気の出るメッセージ。自分の状況にあった内容、気づきが必ず見つかります。 ジョン・ロバート・マクファーランド著 浦谷計子訳 2008.10.13 発行ISBN978-4-89295-595-2 C0011 四六並製・400頁はじめに ―― この本は、私自身の闘病の旅日記であり、道すがら私を支えてくれた人たちの物語でもある。そしてまた、親切にも私をしばし旅の道連れとし、学ばせてくれた人たちの闘病の物語でもある。なによりも重要なのは、この本が旅を共有するための手段であるということだ。誰もが孤独の谷は自分一人で歩くしかないとわかっている。それでいて、旅の友が必要だということも知っているのだ。一人だけれど、一緒でもあるというこの感覚を、友だちのリンダ・ジマーマンは「プライバシーを共有する感じ」と呼んだ。私は、一つひとつの瞑想を一般論ではなく自分自身の経験として書いた。なぜならば、がんは一人ひとり違う病だからだ。私たちがん患者は統計でもパーセンテージでもカテゴリーでもない。人間なのだ。その一方で、がんは機会均等な病気でもある。金持ちも貧乏人も、老いも若きも、善人も悪人も、白人も黒人も黄色人種も関係なく、平等に降りかかる。そうして皆が同じ道を歩む。読者も私の瞑想録の中に自分自身の物語を見つけられることだろう。この旅行は一人ひとりが一歩ずつ進むしかない。私たちは今という瞬間を生きなければならないし、ときにはそれが精いっぱいでもある。一度に一日ずつ生き抜く、いや、たいていは一度に一分ずつしのぐしかないのだ。分厚い本を持つだけでもしんどくて、ましてや読むなんてとんでもないというときもある。せいぜいできるのは、一度に一つの考えだけに短期集中で取り組むことくらい。だから、何ページにも何章にもわたるおおざっぱな知識や未知の単語をかきわけて、まさにピンチの今だからこそ聞きたいという言葉を見つけ出す、なんてことは至難の業だ。だからこの本はがんの人にわかりやすいように、旅のステップごとに書いてある。はじまりも終わりもないので、ご自分の旅の進み具合に合わせて好きな順序で読んでいただいてかまわない。がんが押しつけてくる人生の変化は途方もなく大きくて圧倒的だ。そこに手術や化学療法や放射線療法という苦痛が加わればなおさらだ。とてもじゃないが受け止めきれない。まるで野球のボールに慣れている人がスイカでキャッチボールしようとするようなものだ。だから、がんが引き起こすちょっとした変化や出来事といった具体的なことに、むしろ目を向けるようになる。この強大な神に身体のどこを捧げるかとか、かつらをかぶったら自分はどんなルックスになるかとかといったことを話題にしたほうが、化学療法で本当に快方に向かっているのかを話すよりも楽なのだ。それでいいと思う。人生は物語であって、抽象的な理論ではないのだから。私たち患者は、今までとは違う形のブラ、垂れ下がったまぶた、禿げ上がった頭のことを話すうちに、もっと大きな深い問題を楽な気持ちで話せるようになるのではないか。卵の内側でひよこのくちばしがコツコツと少しずつ殻を破るように、小さな変化が隠れていた意味をいつかは表に出すのかもしれない。そういうわけで、ここに書かれた瞑想録も、その多くは日常の観察や出来事からはじまる。たとえば、化学療法担当の手ごわい看護師のベッキーの顔を見ると、たとえそれが映画館で出会ったのであっても吐き気を催してしまう話とか。がん闘病の旅では実際そういうことが起きるのだ。だから、まずはそこから書きはじめて、やがてどんな意味が見えてくるかというと……まあ、その点については道すがらお話ししよう。手術でおなかを開いてがんが見つかったのは、私の誕生日のことだ。一年間の化学療法がはじまったのは妻の誕生日だった。そのうち化学療法のせいで静脈がだめになってきたので、胸にグローションカテーテルを入れなければならなくなった(今の医療ではポートが使われている)。そのカテーテルを留置したのが、もちろん、結婚記念日だ。私たち夫婦は記念日をおそれるようになった。だがやがて、がんがあろうと――おそらく、がんがあるからこそ――毎日が特別な日なのだと気づいた。この瞑想録はそういう特別な日の連続の中で書いた。すべて当時の思いがそのままつづられている。“あの言葉”を聞いた最初の日のこと、化学療法のせいでおなじみの白くて大きな陶器に向かってゲーゲー言わされたときのこと、こんな目に遭うのは自分のなにがいけなかったのかと首をかしげたときのこと、うんざりするのにさえうんざりしてしまったときのこと。そんな化学療法の日々も今は昔、現在の私はすこぶる元気だ。治ったというお墨付きをいただいている。それでもときおり、告知されたばかりの頃や化学療法を受けていた最悪な日々に戻って、当時の思いを書き直してみたいという誘惑に駆られることもある。今なら長期的な展望を盛り込んでやれるのに。ただし、これまでのところその誘惑に負けてはいない。それぞれの段階にはそのときなりのありようがある。それがありのままの自分。それでいい。物語は私のがんだけでは終わらなかった。父へとつづき、次に母へ、そして弟のジムへ、それから孫のジョーイ、妻のヘレン、娘のメアリー・ベスへと受け継がれ、今は妹のマージェリーが受け持っている。そうした人たちの旅に思いをはせながら書いたのが、この本の第二部「“愛する人”ががんになったとき」だ。第一部と同様、手つかずの素の心情がつづられている。それがありのままの自分。それでいい。 目 次 ――   はじめに 第一部 自分ががんになったとき1章 初めて“その言葉”を聞いたとき    ――診断――2章 からだの一部がなくなったとき    ――手術と回復――3章 闘うとき    ――戦闘準備――4章 毛が抜けても不思議なくらい美しくなるとき    ――治療――5章 恐怖の夜が訪れるとき    ――死を考える――6章 自分が医者になるとき     ――責任を引き受ける――7章 感謝するとき    ――恵みを数える――8章 考え方を変えるとき    ――態度の修正――9章 新しい方法を試すとき    ――行動の修正――10章 “ノー”と言うべきとき    ――人とのつきあい方――11章 “イエス”と言うべきとき    ――人とのつきあい方――12章 内面を見つめるとき    ――自分の気持ちとのつきあい方――13章 意味を考えるとき    ――答えを探す――14章 癒しへ向かって歩き出すとき    ――調子を取り戻す――15章 一喜一憂するとき    ――検査――第二部 “愛する人”ががんになったとき16章 希望が日課になったとき    ――長期生存――17章 世代が逆転したとき    ――親や子どもががんになる――18章 助手席に座ったとき    ――伴侶ががんになる――19章 最悪の事態が起きたとき    ――子どもや孫ががんになる――   謝辞 著者について ―― ジョン・ロバート・マクファーランド(John Robert McFarland)1937年2月4日生まれ。1959年インディアナ大学、1964年ギャレット神学校を卒業後、ユナイテッドメソジスト派の牧師として長年活躍。引退後の現在は、自身や家族のがん闘病経験を生かし、講演、執筆活動などを続けている。教区聖職者協会元会長、現特別会員。著書の日本語訳は本書が初めて。税抜き5000円(税込み5250円)以上ご購入で送料無料!

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