シャトー マルゴー [2002] ハーフサイズ 375ml

シャトー マルゴー [2002] ハーフサイズ 375ml 色赤容 量375mlぶどう品種カベルネソーヴィニヨン、メルロー、カベルネフラン、プティヴェルドー味わいフルボディアルコール度数15%未満産 地フランス/ボルドー/オーメドックアペラシオンACマルゴー格付けグランクリュ第1級テイスティング深みのあるルビー色で、甘草やバニラなどを思わせるアロマ、非常に優しいタンニンを持ち、華やかな香りと繊細でまろやかな旨味が素晴らしいワインです。12世紀の頃、現在のシャトー マルゴー付近は「ラ モット ド マルゴー」の名で呼ばれていた農園でした。「ラ モット」とは「小さな丘」を意味し、概して土地が痩せているメドックの他の地域と同様、さとう大根や穀物の畑として利用されていました。16世紀にレスナック家が保有すると、水捌けの良いこの土地がワイン用ブドウの生産に向いていると考え、栽培を始めたのがシャトー マルゴーの始まりとなります。18世紀に入ると、それまで色も薄く水っぽいものだったワインの醸造技術が大きく進歩しました。その改良には、当時の運営責任者だったベロン氏が、水っぽさの原因である朝露がついたブドウを摘むのを止めさせ、また初めて土壌の重要性に気づいたことが大きいと言われています。18世紀、シャトー マルゴーは大富豪ジョゼフ・ド・フュメルの所有となりました。彼にはマリー・ルイーズという娘がおり、そこに目をつけたのがルイ15世の愛妾デュ・バリー夫人でした。やはりルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人がシャトー ラフィットを宮廷に持ち込むと、次の愛妾デュ・バリー夫人もワインを持ち込もうとしたのです。デュ・バリー夫人は義理の弟をマリー・ルイーズと結婚させシャトー マルゴーを手に入れてしまいます。こうしてデュ・バリー夫人が愛飲し、宮廷に持ち込んだことでシャトー マルゴーの名声は一気に高まりました。ルイ15世が亡くなるとデュ・バリー夫人は零落し、夫人の義理の弟でマリー・ルイーズの夫がアルジクール伯爵と改姓、シャトー マルゴーを手にしますが、フランス革命が起こりデュ・バリー夫人、アルジクール伯爵夫妻、そしてジョセフ・ド・フュメルもギロチン台の露と消え、シャトーは革命政府に没収されました。その後ド・ラ・コロニラ侯爵がシャトー マルゴーを所有します。彼は当時一流の建築家ルイ・コンブに依頼して、エチケットの絵柄にもなっている壮麗なギリシャ神殿風のシャトーの建物を1810年に完成させました。侯爵の死後はスペイン人のアレクサンドル・アグアド、そしてその息子の再婚相手でスコットランド人女性のエミリー・マグドーネルへと所有者がかわっていきます。エミリーはナポレオン三世の妻ユージェニーに侍女として仕えましたが、そのナポレオン3世の命による有名な1855年のパリ万国博覧会の格付けの際、シャトー マルゴーはシャトー ラフィットに次ぐ第1級第2位に格付けされたのです。しかしナポレオン3世が失脚するやエミリーはユージェニーとイギリスへ亡命。その後、病虫害や大恐慌などにより所有者は転々となります。1934年、シャトーはボルドーを代表するネゴシアン(仲買商)、ジネステ家の所有となりました。ジネステ家は当初は投資、改良を行いましたが次第に評判を落とし、1974年の「ワインの大暴落」で大きな痛手を被って手放すことになります。売りに出されたシャトー マルゴーを、当初アメリカの酒販業者が買おうとしましたが、フランス政府が「シャトー マルゴーを外国人に売り渡す事は、エッフェル塔やモナ・リザを売却するようなことで、許されない」と介入、結局1977年にシャトーを買い取ったのはギリシャ系のアンドレ・メンツェロプーロスでした。メンツェロプーロスは各国での事業で財を成し、フランスでもスーパーマーケット「フェリックス ポタン」を経営する実業家でした。シャトー マルゴー購入後すぐに、彼は大規模な投資を行いブドウ畑の改良や醸造設備の刷新を行いました。またボルドー大学の醸造学者エミール・ペイノーを技術顧問に迎え、更なる品質の向上に努めました。その結果は直後の1978年ヴィンテージにすぐに現れ、シャトー マルゴーは見事に復活を遂げたのです。1979年からはセカンドラベルを導入、これが「パヴィヨン ルージュ デュ シャトー マルゴー」となるわけですが、これによってシャトー マルゴーとしてリリースされるワイン(いわゆる「シャトーもの」)の品質がさらに向上しました。1980年のアンドレの死後、未亡人ローラ、そして娘のコリーヌ夫妻の所有となります。1983年からは支配人ポール・ポンタリエが運営、ワイン生産は磐石なものとなっています。シャトー マルゴーの年間生産量は約13,000ケース。セカンドラベルの「パヴィヨン ルージュ デュ シャトー マルゴー」は約17.000ケースが生産されています。ソーヴィニヨンブランだけから造られる辛口の白ワイン「パヴィヨン ブラン デュ シャトー マルゴー」は、樽で醗酵と熟成がおこなわれ、年間約3,000ケースが生産されています。これはメドック地区最高の白ワインと言われていますが、メドックのアペラシオン(呼称統制)では白ワインは認められていないため、広域のアペラシオンであるACボルドーとなっています。シャトー マルゴーは「ワインの女王」といわれるボルドーワインの中でも「最も女性的なワイン」と評され、「ボルドーの女王」とも呼ばれています。またデュ・バリー夫人以外の著名人にも愛され、物語にまで登場しています。マルクス主義者で知られるエンゲルスは「あなたにとって幸せとは」と聞かれ、「シャトー マルゴー1848年」と答えたとか。また「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」などの小説で知られるアーネスト・ヘミングウェイは酒をこよなく愛し、キューバ滞在中にフローズン ダイキリを愛飲していたことはよく知られていますが、彼はまたフランス滞在中にはシャトー マルゴーを愛飲、生まれた孫娘に「マーゴ」と名づけてしまったほどでした。この年1954年、彼は「老人と海」でノーベル文学賞を受賞しています。映画「ソフィーの選択」では、ケビン・クライン演じるネイサンが「特別の日だから特別のワインを」といって用意したのがシャトー マルゴー1937でした。メリル・ストリープ演じるソフィーは、一口含むと思わずこう言いました。「もしこの世で聖人のように清く生きて、そして死んだら、天上の楽園で飲ませてくれるのはこのワインよ。」また渡辺淳一の小説「失楽園」では、不倫関係にあった久木と凛子が最期に口にするのが、いつも密会するときに飲んでいたシャトー マルゴー。これに毒を入れて二人は心中します。映画化され大ヒットすると、折からの赤ワインブームも手伝って一時シャトー マルゴーは日本では大変入手しにくくなりました。これらのエピソードや物語にも、あこがれすら抱かせられるシャトー マルゴー。多くの人々を魅了し続けています。

販売店:ワインダール

¥27,300 送料込
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